紙の本、電子の本

ザウルスを使っていた頃から、青空文庫を電子書籍として読んできた。N810になってから持ちやすさもあって電車内で読む時間が増えてきた。が、なぜか読み終えたときの「充実感」が少ない感じがする、最後のページになったときに「あれ?もうおしまい」なんて事が多々ある。
本文中の中だるみみたいな文章に対しても、いつまで続くの?とイライラすることもある。

久しぶりにハードカバーの本を電車で読んだときに気づいた。

電車で本を読むときのスタイルは、片手の手のひらに本をのせて、親指で本を開く感じでおさえている。(ハードカバー・文庫問わず、ちなみに「ゲーデル・エッシャ・バッハ」は重すぎてまだ読んでいない)
その時にページの残量を親指を感じていたらしい、本の最後に近づくと勝手に脳がこの先どうなるの?、途中でもこの先の展開はどうなるの?など、期待感が出てきて最後のページにたどり着くなんともいえない感覚が湧いている。

その感覚が電子書籍にはなく、気がつくと最後のページになっていきなり話が終わってしまうことになっている。そんな気がする。

本を読む場所は、いままで(人生の半分以上)通勤・通学時で電車の中がほとんどだったので、そんな感覚が身についていたのだろう。

くだんのハードカバーの本は、「ネット・バカ」。まだ読み終わっていないけれど、前半の脳の可逆性についての章で気づいた。

たぶん、電子書籍で育った場合は違った感覚が生まれるのだろう。

iPadや小型のデバイスが出てきて、紙の本の優位性の一つ「どこでも読める」が無くなってきたが、読み終わった本を書架に並べて充実感を得るは、電子デバイスでは少ないだろ。紙デバイスで長年読んできた一部の人は、私と同じような感覚に気づいて、紙デバイスに回帰する現象も起こるだろう、でも最終的には電子デバイスになってしまうのだろうな。

ところで、シャープの「ガラパゴス」。自虐的な名称じゃないかな?

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