仕事始め

へたをするとGWより短い年末年始休暇、放送していたTVの特番も服装やセットはお正月風だけど内容はいつもと同じだから特に新年な感じはなかった。

子供の頃は楽しみなお正月だったのに、お年玉は貰う立場からあげる立場になったからかな?、親の実家へ出かけるのが楽しみだった。

今年は私がCGを始めて30年、そしてCGを辞めて10年と丁度キリが良い節目の年。少し昔のCGの話をwikiで纏めようかと思う。

CGを始めたのは当時勤めていたのは小さなソフトハウス、その会社に今やCGなどの映像製作大手となった会社からCGを始めたいとの打診があり、そこへ出向でCGを始める事になった。

CGって何?

その当時はコンピュータでキャラクター(文字)の重ね打ちで濃淡を表し紙に出力する絵は有ったけど、動く映像を作るなんて想像もつかなかったし、CGなんて言葉も知らなかった。日本では既にJCGLとSEDICがあった事はCGを始めてから知った位で本当に何も知らない状態、JCGLは米CGLのCGシステムで映像作りに対して僕等はCGソフト作りから始める事となる。

学生時代の友達と会った時に「何やっているの?」の問いに「CG」と答えても当時は一般化していない言葉。トロン は上映していたけど、作っている本人もコンピュータを使ってどんな映像が作れるのかも判っていない状態で正確に答えるなんて無理な話。

三角関数と行列ベクトルを再勉強がCGへの入り口、まさか社会人になって使うとは思っていなかった、最低限2次方程式も必須。手探りで始め自分が作った映像が映画やテレビコマーシャルで見れるのは感動もの、まだまだCG映像製作会社は少なかった上にテレビコマーシャル用のアニメーション製作会社なんて あそこここ と数える程、TVを見ていると自分が作ったCGが2・3本続けて見れる事もあった、いい時代だったな。(この出向先には6年ほど居た)

10年前

20年程CG映像を携わってきたが、段々と手作り感・手探り感が無くなりCG製作に飽きていた。丁度その時に松竹のCI、配給映画の前に付くCIの作成をしたときに「名前は残らないけど、(松竹のCI)映像は僕が死んでも残る」に気がついてそれを期にCGは辞めて普通のSE屋さんに戻った。(公言しないと損かな?)

現在

受注ソフト会社のSEをするつもりが、インハウスソフトでCGソフト製作&CG映像製作に転向し、現在もインハウスソフト製作を続けられる事は感謝、おかげでまだまだ手探り感たっぷりのソフト開発をしている。

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